仕様:Model 7000 Model 701にHarmony の振動系を搭載したモデルです。
アナログ最期の一本に相応しいモデル。
今回テスト用に試作したカートリッジ[ 701H.7000H ]を販売します。
テスト時間50時間程度で、ボディには使用感がありますが、針先は極めて清浄で使用感は全くありません。ご興味のある方はお知らせください。
オリジナルモデルとしての販売を検討と記していたのですが、ロット数他の問題で現状では、難しく見合わせる事としました。ご連絡頂ければ同様のモデルは製作可能ですのでお問い合わせください。
見果てぬ夢
普段何気なく手にして見ているレコード。そのレコードの溝を改めて見てみる。下の写真はその溝の拡大写真である。当然の事ながら見れば唯うねった溝そのもので、オーディオマニアがああでもない、音楽ファンがこうでもない、と喧々諤々の元が、これ!
これが人の声になり・バイオリンに・ピアノに・太鼓に・オーケストラに、筆舌に尽くしがたいあらゆる音そのものになる要素が刻まれている事、この溝の中に叡智が込められている事を知る。このあたりの事情はフォノ・カートリッジの話(1)に詳しいので是非一読されたい。判っているようで、あらためて読でも不思議さは拭えないが。
一発取りのダイレクトカットが演奏家にとっても録音エンジニアにとっても如何に至難であったか。しかしダイレクトカットのレコードが製作され販売されていた時代は今に思えば良い時代だったと思う。
”ああ、この溝に秘められた音の全てを聴いてみたい”という思いは、オーディオエンジニア・ファンの尽きることのない夢であり、その思いは深い。客観的に考えれば、LPレコードの技術的進歩は、デジタルの萌芽と興隆と供に、技術的変革はその歩みを止めてしまった。1985年頃を最期に終わっている事に多く異論は無いだろう。レコード製作に於いても大手が撤退縮小していくと個性的なマイナーメーカーが台頭してそれなりのマーケットを形成している。
すべて紙で出来ているそうでその名もずばり[Paper Record Player]。レコードを手で廻すとちゃんと音は出るという。蓄音機の紙版で、何とも楽しいではないか!
一方こちらは、スチームエンジン駆動のターンテーブル。動く様は、何故か懐かしい。世の中には面白い事を考える人がいるな~。レコードプレーヤーという機械は、カメラやバイク、機械式時計と較べても、最も楽しい人類が生み出した機械かもしれない。
新世代カートリッジ
日本では、サテンの空芯 ビクター;ダイレクトカップル FR;ユニークな空芯 イケダ;カンチレバーレス Stax; コンデンサー ナガオカ;リボン などなど考えられる限りのユニークなカートリッジが生み出されてきた。多様性と独創は、世界に類をみない誇るべき素晴らしさだと思う。
それらの優劣ではなく、投資に要するコストや、相対的に市場の規模は縮小してしまい、現在そのほとんどが過去のものとなっている。世界をマーケットとしても、実売数を考えれば、いかな趣味の世界とて、それほど冒険をする事は出来ないだろうし、購入するユーザーも独創を許容する余裕も無いので、仕方の無い事なのだろう。
その厳しい時代の中で現在も、日本には多くのカートリッジメーカーがありカートリッジが製造されている。価格が高くなったという避けがたい点もあるが、オーディオファンにとって幸せなのかもしれない。
Audio Note. Dynavecter. Audio Tecnica. Lyla. My Sonic. Yamamoto. Phase Tech. ZYX. *Miyabi. Nagaoka Transfigration
*miyabi のカートリッジは振動系支持に工夫がされていてオルトフォンタイプではない。各部に構成もよく考えられていて、完成度も高い印象
CD以降に顕れたカートリッジは、新世代とも呼ばれているようである。
新世代といえば聞こえは良いが、部品点数は数える程に単純な構造を持つオルトフォンタイプが主流にならざる得ない-という事が正確な現状である。この状況の中で、進歩や発展と言う余地がどれほど有るのか?本当に世代が変わったという程に、音・音楽の表現力が向上したのだろうか?
カートリッジの世代を分けているとしたら、キーとなる一番の特徴は、実は針先の形状の変化ではないだろうか。レコードの溝は、スタイラスを動かす信号そのものの連続で、接触面が実際の信号あるから、線接触の幅は出来るだけシャープである事は一つの理想である。ラインコンタクトのアイデアは当初より様々に出されていたようだが、4チャンネルの開発により先鋭化した針先が、その認知された原型を成していると思う。
ピュアオーディオへの採用は、それを更に先鋭化し接触面を板状に加工したレプリカントを採用したオルトフォン MC2000 やvan den Hal スタイラスなどのラインコンタクト系が登場してきた頃が次世代への変換期であったように思う。 仕様はこちらに詳しいので参照されたい。
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日本精機宝石工業株式会社 殿 より引用
1.丸針(寿命は約200時間)
一般的なレンジの音域を再生する汎用的なモデルです。
2. 楕円針(寿命は約150時間)高音域の伸びに特徴を持たせたモデルです。
3.シバタ(4ch)針(寿命は約400時間)前後左右と4chのサウンドとして再生できるモデルです。(レコード自体が4ch録音されたものに限ります。)
4.S楕円針(寿命は約400時間)音溝への追従性を楕円針より更に高くしたモデルです。
5.SAS針(寿命は約500時間)レコードをカッテイングする時に使用されるチップに限りなく近い形状で、音溝とチップとの線接触(接触面積の拡大化)を実現し、高音から低音まで幅広く再現可能なモデルです。また摩擦係数が全モデルの中で最小なため、長寿命を誇っています。
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接触面が点から線に変る事によって、ダンパー他の見直しも必要となり、鋭利に磨かれた針先は、レコードへのダメージが懸念される事と相まって、軽針圧がレコードの保護と音質の向上のために必要とされた時代であった流れから、充分な検討がされていない様にも思われた。このため聴感のエネルギーバランスも変わった様に思う。時を相前後してサウンドステージという言葉と共に音場や楽器の定位などが再現の重要項目として云われ始めた。
基本構造が変わらない。その事はカバーなりを外して比較すれば、直ぐに解る事である。
部品点数は数える程。勢いその進化というか変化は、素材の選択に目が向けられる。素材にしても、基礎的な開発は、多額の開発費を要する為、どうしても選択が似てしまうのは、仕方が無いことなのだろう。ところが、素材の変更は、新たなバランス点を見付け出す地道な作業にならざる得ない。新世代がより豊かな音楽的表現力を獲得したとするならば、技術の跳躍というトピックに因るモノではなく、熟成された形式を更に熟成させた成果という事である。それは、ユーザーが想像する以上に地道な作業ではないだろうか。
前進という言葉とカートリッジとはすんなりと結びつかない言葉で、読んだ方は、何かしらの違和を感じられたのではと忖度する。その思いを代弁するもっとも相応しいと感じた言葉が、一歩一歩少しずつ進む”前進”という言葉で”カートリッジは前進するか”という奇妙なタイトルを付した。
Shelter【シェルター】のカートリッジを軸に、カートリッジの現在を確認したいという思いから実行したレポートであった。今回纏めとしたい。
日本的な真面目な音
日本のカートリッジの評価に、「日本的な真面目な音」と表現される事が多々ある。
これは、以前のブログにオーディオの”音楽性は、ミームの齟齬である”と記したのだけれども、
事カートリッジとアームに関しては、世界での評価は頗る高い。
光悦は、既に芸術品の扱いで、Dynavecter Audio Tecnica lyla My Sonic Yamamoto Phase Tech ZYX miyabi nagaoka そのどれもが、一定のファンを持ち高い評価を得ている。試聴記を読んでも、「日本的な音」のような表現を見かける事は、無い。この表現を取るのは日本人だけのようで、不思議に思う。正直に言えば真面目かどうかは別にしても、自分も日本的な音を感じていた。
日本的とも真面目と評される所以は、何が要因であるのか興味深いところである。それは聴感上のフラットさではないかと推察している。
カートリッジの仕様はどの様に決定されるのだろう? 長い経験のあるメーカーならば、オルトフォンタイプであれば、特性のコントロールは測定するまでも無くフラットに出来る。日本では周波数特性がフラットである事を善しとする傾向があり、周波数特性が可聴帯域でフラットである事は、高性能である事を意味しないし、正確であるという事でもない。そもオーディオに於いて過度にフラットである必要は無いのだけれども、無批判に信奉する傾向が在るようにも思う。
EMT-TSD15 等は15kHz前後に結構なピークがあるのに、聴感上は高域を受け持つ楽器の音色も艶やかでハイ上がりというよりも低域から高域にかけてなだらかに減衰しているように感じられる。比して日本的と感じる音は低域から高域まできっちり再現されるが、エネルギーバランスは僅かにハイ上がりに聴こえる。
技術的トピックは、音質・音楽的表現力の向上に結びつかない事は、皆知っている。現代カートリッジに於いて、本当の設計は特性の次にある。
Shelter【シェルター】
次世代のキーともいえるラインコンタクトは現在ほとんど主流と言えるほどに各社に採用されている。Shelter【シェルター】は、最新のHarmony で初めて採用しているので、随分遅いと言えるかもしれない。採用を躊躇した一番の理由は、音質・性能というよりも、レコードへのダメージと、MONOのオリジナルレコードなどの適応を考慮したためのようだ。音質の向上の為には、何よりもスタイラスの正確な取り付けが必要だと強調していた。採用したファインラインは、この種の中では、穏やかな形状のモノであくまで、ユーザーとレコードと音質のバランスに配慮している。
Shelter【シェルター】の小澤氏と話していると、カタログと同様にセールストークや自画自賛をまったくしない。多くは語らないので、こちらで推測なり予想をして確認するのであるが、オーソドックスで特徴が無いと称する各部に、周到な考慮がある事を、使った時間が教えてくれる。
黒子に徹しようと意図したカートリッジは、主張をしない、従属的、特徴がない これ等の事を意味するのでは無いのである。本人が殊更 語らないことを、遇々説明するのは、いかにも無粋である事は承知している。
八正道(はっしょうどう、aaryaaSTaaGgo-maargo、आर्याष्टाङ्गो मार्गो)
シェルターは明らかに中庸を目指している。凡庸・普通であるという事ではない。相反する表現 硬い・柔らかい 強い・弱い 鋭い・穏やか どちらをも表現するためのアンビバレント 【ambivalent】両義的・両価的なニュートラルバランス点を目標としている。そのニュートラル点は勿論測定する事は出来ない。 シェルター小澤氏の感覚の中に在る。
シェルターは仕様を決定してゆく際に、何かのレコードを掛けて、より良く鳴るようにしようという意識は全く無いと思う。何かと比較して良い悪いというオーディオ的には、常套の行為はきれいさっぱり一切されない。驚くこと事に、良い音という感覚さえも無いと思う。この姿勢が実は音楽・オーディオファンの要求に応え得る最適なアプローチである事を理解したのは、随分時間が経ってからであった。もう少し詳しく話をしよう。
凝視と周辺視
音質の決定は、どの様な過程を経て決定されるのだろう?
メーカーや設計者に夫々に異なるのは当然としても、想像してみると面白い事に気付かされる。
自分などは、単純に良い音であればと、愛聴盤を取り出し過去の経験値と比較する。
例えば、ジャズでは、フランク・フォスターの愛聴盤を取り出して、ピアノ・サックス・ベース・ドラムストランペット の音色、リズム感、グルーブ、空気感などの鳴り方を較べるだろう。
たとえば、室内楽の小品では、ヴィバルディのフルートソナタを取り上げ、フルートの音色・音の広がり方・チェンバロの響き・ハーモニー・音楽の一体感・場の雰囲気。
たとえば、合奏曲では、ヘンデル 合奏協奏曲”アレクサンダー フィエスト”を取り上げ バイオリン、ヴィオラ、コントラバスの音色・渾然一体のハーモニー がどの様に再現されるかを聞き取ろうとするだろう。オーケストラであれば、ヨッフムのブルックナー8番、終楽章に針を落として、迫り来る響きの中に、何層にも再構築されるブルックナートーンを確認するかもしれない。
我々がカートリッジを手に入れて評価する仕方は、基準は異なれど大差はない。個別に判断するポイントを拾い出して評価する。細部を凝視する事になる。押しなべて「木を見て森を見ない」のは、オーディオの常で、悲しいかなオーディオに魅入られ音楽を聴く人々は、細部が気になって仕方が無い。
シェルターにあって音質評価に良い音という判断基準は存在しない。選択されたレコードを評価基準にする事はない。好きなレコードを掛けて良し悪しを判断しないと言うことである。あらゆるレコード聴くこと、個別集中的にではなく、いつも音の表出される”全体”を聴くのである。個々の鳴り方には拘泥しない。マイルス・デイビスの音を、ビル・エヴァンスのピアノ、ハイフェッツのバイオリンの音を再現しようなどとは考えていないのである。どんなに優れた開発者で、音楽的センスがあったとして、彼等のミュージシャンの音を知る事は出来ない。カートリッジが相手にするのは、どんな音楽であっても一本の溝である。ある演奏家の音が予想より良い音で鳴る事は、良くない点が他に顕れるのではないかと予想し確認する。その作業を連綿と続ける。
スポーツ科学の発展は的確な状況判断と素早い身体反応は、実は視界の状況に大きく左右される事を明らかにしている。ぼんやり見る-点に集中するのではなく、相手の動きを凝視しその変化を読み取るのではなく、グランド・コートあるいはピチャーの全体を広く大きな空間全体を意識する事によって細かい変化とその意味を的確に把握できるという訳である。同じことが聴くという感覚にも言えて、個人の趣味である凝視に答える為に間口を広く広くする事によって答えている。
膨大なレコードの全体的な鳴り方の把握があればこそ、初めてカートリッジの細部が齎す違い;マグネットの違い・ダンパーの変更・スタイラスの違い・ボディの形状等を的確に把握出来るに違いない。全体的な把握の実際は千日行にも等しい苦行である。シェルターの製品が持つ中庸は、設計者 小澤氏の目標であり、この過程の成果なのである。
評価するポイント・スタイルが異なるために、製作者がエンドユーザーの心を理解することは至難である。逆に、エンドユーザーは製作者のスタイル・考えを忖度する必要ない。シェルターの製品が持つ中庸は、異なった評価ポイントを結びつけるための、音楽ファンが気兼ねなく音楽を楽しめるための、エンドユーザーがファナティックなまでに細部に拘泥する音の再現に答えるための、製作者側の渾身の回答なのである。
理屈は兎も角として、オーディオ機器は音である。シェルターのカートリッジで音楽を聴いた時に、多くの人々が理屈抜きに気持ち良く音楽を楽しめる-エスタブリシュメントでもなく、技術的アピールでもなく-存在を意識させない新世代のカートリッジ、と云えるかもしれない。
守るべきもの まとめにかえて
黒子に徹する、デジタル時代へと移り行く音楽アナログファンの小さな隠れ家であれと名付けられたShelter【シェルター】と聞いている。今やジャケットも含めて不朽の音楽ソースとして認識されているアナログレコード。そのための隠れ家の役目は達成されたのではないか。
更なる未来に続くクラシックスとして、次は「小さな部屋」から歩み出るのだろうか。
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