”スピーカーの塗装”から話題が逸れるようで大きく関わってくるので、引き続き、スピーカーは、楽器か変換器か? という観点からエンクロージャーを取り上げたい。
エンクロージャーに関して、二分するエンクロージャーを鳴らす派 鳴らさない派がある。
方や、コーン紙の振動以外は全てノイズとして徹底的に排除するという考え方で、この考え方は一時代前までは、日本の大手メーカーを中心にメインストリームを成していた。端緒となったのはケンウッドの鋼鉄製1トンのバッフル登場であったように思う。以降一気に流は作られ、その思想の集約したLo-D 四桁一連のモデル、オンキョー グランセプター GS-1 などが代表するモデルである。
ポーラスメタルをバッフルに採用したオプトニカなど共振しない素材の開発も盛んに行なわれていた。振動板以外の振動を徹底排除する事を技術的目標として、日本のメーカーはかくも徹底して追求してきた。今から見るとこの時代の熱気と開発にかけたエネルギーは凄まじいと感嘆させられる。
この頃、特にスピーカーの評価として”音は良いけれど、音楽が鳴らない”といわれていた。この反動からか、高剛性で”鳴らさない”から必要以上に抑えない”鳴らす”事を模索し始める動きも出てきた。
”スピーカーは、楽器か変換器か”というテーマに最も相応しいとも云えるヤマハ。彼等のアプローチはどのようなものだったのだろう。一時はヤマハも徹底した高剛性・高質量の路線であったのが、最期のハイエンドモデル GF-1では、見かけとは異なり、ユニットを押さえつけずに有る意味、野放図に鳴らすセッティングにしてあると当時の主査は開発手記に記していた。理由としては、記憶なので正確では無いかもしれないが、”今までの高剛性・高質量では音楽の楽しさが上手く表現できないから”と雑誌の対談の中で語っていたと思う。
設計思想を高剛性から好剛性とも云える転換をトップモデルで問うたため、この変化がどのように受け取られたのか、同じ思想に基づく汎用モデルも出なかったので、あまり話題にもならなかったように思う。
このヤマハが取り組んだエンクロージャーの鳴きを押さえ込まない・ユニットを押さえ込まない という考え方は、主にヨーロッパの製品の常套として語られ、日本的な剛性志向と対を成して語られる。対比される欧州のスピーカーは、エンクロージャーを上手く鳴らすためにユニットにはそれほど凝らずに”特性は良くないけれど、音楽が鳴る”とステレオタイプの評価をされたりした。
”鳴らす”派この違いを”音楽性”という言葉で説明しようとし、”鳴らさない”派は正確な変換機ゆえとした。
最近では、欧州製の方が振動を抑える事が主流と成りつつあり、Audio Mecanica Magico などのように徹底した剛性をもったスピーカーも現われてきている。往時を見る影もないが、近年日本でも、楽器のように響きを殺さない事に注力した製品が増えてきているのは、歴史を知れば興味深い。
不思議な事に、現在の高剛性のスピーカーに対して、”音は良いけれど、音楽が鳴らない”という評価は不思議なほど見受けられない。チューニングが優れているのだろうか。当時の日本製のスピーカーと何が違うのだろうか?この事を取り上げ、指摘した記事は残念ながら見た事がない。
更に付け加えれば、現在高く評価されているセラミックドームもダイヤモンド製ドームも、25年以上も前に日本のメーカーが開発している。瑣末な評価に終始し、この努力は残念ながら正当に評価される事は無かったように思う。当時の評価と現在の評価を較べると釈然としない。
オーディオは技術でありながら極めて感覚・感性的な領域でもあり、技術の伝承という点から見ても過去の日本の技術を今一度振り返り評価をし直すことは、意味あることだと思う。しかし、技術の集積は継承さる事無く、その機会も既に失われたように見える。
しかし、今日の日本のオーディオの凋落は、、開発姿勢の構造の中に、要因が潜んでいたと疑っている。日本のオーディオが大メーカーに支えられていた時代、マーケット志向の問題もあったかもしれないが、かれらのマインドセットは言外に、特性の改善が必ず音質の向上に繫がるというスタンスの元に開発されていたように思う。言い換えれば、音楽信号(この場合はアンプの出力)を細大漏らさずに正確に再現すれば”音楽性”も完璧に再現できる という事である。
企画を練り、プロジェクトを立ち上げ、予算を確保し、一連の基礎研究から、製造技術・個々の開発・纏め上げる技術・測定評価 販売量の確保、一見理想的な開発環境のように見える。
技術的な目標を設定して開発に取り組み、その評価と決定はどの様になされていたのか興味のあるところだ。というのも、技術的目標の評価は必ずその成果の達成度によって為される筈だからでる。その設定した目標が、実際には足枷になってはいないだろうか。
目標とした成果を達成したとして、ヒアリングテストでそれを覆すような結果が出たときに、目標の見直しや再評価を行ったのだろうか? オーディオに於いてはそんな事は日常茶飯である。
”エンクロージャーを鳴らす?”の根本はここに潜んでいるのではないだろうか。この点を最後に取り上げたい。
エンクロージャーの基材
鳴らすにしても鳴らさないにしても重要な要因となる対象は、エンクロージャーに使われる基材である。主な物を列記すると。
木質系 : チップボード MDF ベニヤ(積層材) 集製材 ランバーコア 無垢材
金属系 : アルミ二ウム 鉄
樹脂系 : コンポジット材 メタクリレート アクリルなど
個別に取り上げると範囲が広がりすぎるので今回は、深くは立ち入らない。やはり木質が使われることが多い。木質系に関しては右ワイズに良いといわれる順としている。アメリカのスピーカーの支持者は米松あるいはJBLのチップボードを支持されている。更に比重・剛性のあるアピトンが良いとする人も居るだろう。どれが良いかは百家争鸣 結論付ける事はなかなか難しい。同じ条件で異なる基材で製作すれば一つのランク付けは出来るだろう。 ではそれぞれの基材に相応しい工夫を凝らしたときに基材による音の変化は前のランクと同じようになるのだろうか?例えば接続方法・接着剤・補強の仕方などなど、音への影響の要因は多岐に亘る。
素材は、要因ではなく結果なので、素材だけを取り上げ音を判断する事ははてなの茶碗(はてなのちゃわん)を髣髴とさせる。
例えば、合板より無垢材が良いといわれる。これは、楽器には無垢材が使用されることから来る安易な幻想にも思える。例えば、ギターにおいてハカランダは最高とされている材料(裏板)で、ハカランダ信仰といわれるほどに絶対的な支持を獲ている。その裏板をMDF材で製作したものをルティエ(ギターの製作家)が展示会に持ち込んでいたが、音の評価は頗る高かった。音は明瞭で、遠達性に優れていると。製作家は井上保人氏。
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397 : ドレミファ名無シド[] 投稿日:2008/11/11(火) 23:49:25 ID:mXvOznTQ [1/2回]
346さんの予想はハズレでした。大西達郎さんはラコートではなかったです。シュタウファーでした。ラコートを期待してたのですが、うれしい誤算でした。
あと面白かったのは、井上保人さんのトーレスギターです。側面板と裏面板がボール紙というかチップを固めたというか、木ではなく紙のような物で作ってありました。
トーレスが実験的にボディーをボール紙で作った物をまねて作った物だそうです。
弾いてみると優しい音色がしました。ちょっと驚きでした。
他のギターもそれぞれ製作者の個性が出てて良かったです。どれも良い音してました。ギター店に置いてあるものよりもずっと良いものばかりに思えました。
404 : ドレミファ名無シド[] 投稿日:2008/11/12(水) 16:42:11 ID:F90xcEVc [1/2回]
聞くところによると、シュタウファー・レニャーニのネック角度調整機構とペグは自作だそうだ。ロジャースのシュタウファー用のペグがあるそうだが、それは重量がありすぎて、音に悪いそうで、仕方なく作ったんだとか。
トーレスのボール紙みたいなのは、MDFという物だそうだ。ホームセンターのDIYコーナーで、ベニヤ板の横に置いてあるのを見かけるぞ。
こういった材料であんないい音のするものが出来るのなら、わざわざハカランダで作る意味がなくなるな。
Re: 2008弦楽器フェア
by A. Takagi » 月曜日 03 11月 2008, 22:43
私も土曜日に行って来たので、感想とか補足とか。
永田さんのミニコンサートは私も聞きました。もしかしたら、リュートのソロを生で聞いたのは初めてかもしれません。富士通テンのイクリプスのおかげもあってか、雑音だらけの会場でも、思っていたよりも音が通っていたと思います。
坪川真理子さんのコンサートですが、慣れないギターをとっかえひっかえなんだから、もっと簡単な曲を選べばいいのに、などと思ってしまう程のリッチな内容でした。
坪川さんが最後に弾いた、禰寝考次郎(ねじめこうじろう)さんのギターですが、装飾以外にも色々と面白いところがある、新しい試みのギターだと思いました。これまでギター屋さんで見た禰寝さんのギターとは明らかに全然別の作りです。側板と裏板に、何か変わったものを使っていたと思います。金曜には禰寝さんがいらっしゃったので、質問しておけばよかったのですが、結局は何を使っているかはわからずじまいでした。あとは、ボディの右手の肘が触れるあたりにアームレストが付いていました。夏場、半袖で演奏しても大丈夫、ということでしょう。試奏した感じでは、アームレストに不自然さは感じませんでした。
それから、井上さんのトーレスモデルの材質も不思議なものでした。まるでおがくずを固めて作ったかのような、人工的に見えるものが使われてました。ローポジションで弾いていた時は、得に目立った印象はなかったのですが、1弦12フレットを押さえて音を出した瞬間にぶっとびました。ハイポジションの高音の音量と伸びが圧倒的です。低音とのバランスがどうかは何とも言えませんが、高音が極めて良く出ているのは間違いありません。
上記の2台に、先の投稿で書いた長崎さんのギターを加えた3本が、従来とは別の新しいチャレンジをしているギターで、個人的には印象に残るものでした。
Guitar : Ichizo Kobayashi Model 50 2007
Silent Guitar : YAMAHA SLG120NW
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勿論、材料は何でも良いと云いたい訳ではない。集積された経験から導き出された選択であれば、無垢材でも、合板でも、MDF パーティクルボードでも良い結果得られると思う。その前提条件として、ユニット・エンクロージャーの構造・基材は不可分の一体で捉えるべき物で、経験値がないまま材質だけを取り上げて出てくる音を予断するのは、本質を見誤ることになると思う。逆の見方をすれば、この素材を使ったから、音がXXに為りましたと言うのはチューニングをする技術は在りませんと云っているに等しいとも云える。
分割振動は悪か
前回スピーカーは楽器であり・変換器であると取合えず結論付けたのだけれども、固有の音色の豊かさをどこまでも追求するのが楽器であれば、スピーカーは固有の音色を持たずに(可能であれば)あらゆる音色とその変化を描き出さなければ為らないので、その意味では楽器ではない。
固有の音色を持たずにというところで、技術者は振動板以外の音は、狭雑物・附帯音として排除する事を目指すのは、至極当然な道理であるが、ここにこそ楽器と変換器を分つ陥穽があると思う。
固有の音色というと直ぐに分割振動が取りざたされる。スピーカーユニットが完璧(アンプ程度の過渡特性を保持しているという意味であるが)であれば、論理的にも上手く整合し首尾よく目的を達成できたのだろうと思う。
ところが、ユニット一つのファクターに拘って突き詰めれば詰めるほど、理想から乖離していく。
それは、ダイナミック型の宿痾のといっても良いだろう。*他の型式はまたの機会に。
ここで理想を具体的に論ずるまでもなく、ダイナミック型では、ウーファ領域以外はそこそこのリニアリティーは獲得出来ている。ところがウーファ領域ではまったく悲惨な特性しか達成出来ていない。
分割振動も同じ観点から、排除するべき物とされているようだが、実はこの技術的な課題は、日本で達成されている。Lo-D #10000 とダイアトーンが郡山工場を閉鎖する直前に完全ピストンモーションのスピーカーを完成したと発表していた。これを聴いたオーディオ評論家は”音楽を聴くものではない”とコメントしたと記憶している。補足すると、位相を保障するには、頭を微動だに出来ない。
光学系の分割振動とも云える歪曲収差がレンズの評価でも取りざたされる。同じように収差ゼロが良い事とされているのだろうか。 収差ゼロのレンズは実は完成していて、私たちの身近なところで活躍している。それはCDのピックアップレンズである。 では収差ゼロのレンズがカメラやビデオに使用されるのかといえば、採用されない。何故か。 人間の感覚と機械の感覚は同じ領域を扱っても異なっている。その乖離をより人間の感覚に近づけて自然と感じられるようにするのが技術で、光学系に於いては早い段階から認識されてCarl Zeissなどが高く評価される。この事に気付いた日本製のレンズは特性でも一級でありながら立体感・空気感も有するレンズを造ってきている。
もっとも、収差は計算でシュミレートできるが、分割振動は、シュミレートする事は遥かに複雑なために感性・感覚という曖昧さがどこかに介在してくる事は避けられないと思う。
ところが、オーディオでは今だピストニックモーション第一・分割振動排除を技術目標に掲げる。
あるいは、希求する。そもそもの問題・目標の設定が誤ってはいないだろうか。
付言すると、GS-1の開発手法 インパルス応答は最も洗練され、有効な開発方法だと考えている。現状、主流の開発手法はやはり周波数特性で次の技術的ターゲットは位相特性なのか、この事をアピールする記述を多く目にするようになった。補足すると、位相を保障するには、リスナーは頭を微動だに出来ない。
周波数特性も位相特性も、別の手段[デジタル処理]や対象ユニットを追加[スーパーウーファやツィータ]することにより補正や補完することは出来る。
ところが、インパルス応答は本質的に持っている性能に依拠して、他の手段で補うことが出来ない。例えばMFB;Motinal Feed Backは、振動板をアンプのコントロールループに組み込んで制御する事を目的としている。振動板の変位をセンサーで検知しアンプにフィードバックする構成上、立上りそのものを改善できない事は明らかである。 そういった性質のものなので、音楽が時間の変化そのものであることを思えば、インパルス応答はもっと視座に入れる必要があるし次代の発展につながると考えている。
気になったので、yosii9を聴いてきた。??オーディオ開発の難しさを再認識した。
抑えるべき振動 鳴らすべき振動
エンクロージャーの振動
振動板(音楽信号)の振動
振動板の逆位相の振動
エンクロージャーを伝わる板振動
空気の圧力変化に伴う振動
この本質に立ち返れば、スピーカーが楽器とは異なる事は明白で、”振動板以外の振動;雑振動を排除する”という考えに間違いは無い。であるのにも拘らずこの事が、問題となるのは何故か。
それは、前述したように物量を投入し剛性を高めてもコントロールできない振動が存在するからである。どちらの立場を取るにせよ、雑振動は不可避という事である。現実問題として、完全に雑振動(ここでは振動板)を抑える事は困難である事を思えば、響き(共振)を抑え込まない事と高剛性である事は、実は同じことの表裏で理想と現実のどちらに軸足を置くかの具体的選択に拠るのだろう。実際にコントロールできるのは3,4で3への対応が高剛性・高質量化で4への対応がエンクロージャーの容積であり形状でしかない。
真っ白な紙を想像していただきたい。白ければ白いほど、全体の雑振動が減少すればするほど僅かなシミは目に付く事になる。僅かな雑振動響は益々際立って耳に付いてしまうし、それが低音域にあればその影響は全体に及ぶ事になる。
オープンバッフル
求められるのは、背面の音が前面の音に影響がなく、バッフルの影響も無い、動作状況としてはダイナミックスピーカーの理想的な雑振動の影響が一番少ない形式。結論を先に言えば無限大のオープンバッフルではないだろうか。
ユニットを裸の状態で鳴らしてみると、バランス(一部のユニットはバランスも良い)はともかく鮮明で瑞々しい鳴り方をする。この延長上に位置するのが、無限大のオープンバッフルであり平面バッフル・後面開放がそれに続く。ところが、ひとたびエンクロージャーに取り付けると、先ほどの瑞々しさは、幻のように霧散してしまう。この事は多くの人が経験している事だと思う。
バッフルの現実的な選択は、動作状況の複雑さを伴いながら、変遷はそのままスピーカーシステム(エンクロージャー)の歴史を辿ることになる。当初は前後に放出される音楽信号を分離するバッフルは平面バッフルや後面開放を選択する。密閉型となりやがては、背面の音を利用して低音の増強に利するエンクロージャーへと続く。
注目すべきは、動作状況は代を降るにしたがって複雑になってくる。つまり抑えるべき振動の要素が増え複雑化するという事である。
さて、現実としては、平面バッフルや後面開放に最適化させたユニット;コーン紙の質量 マグネットの強さなどをチューニングすると想像以上に低音感も有って、質感の高いハーモニーと屈託のない開放感・素直で整った鳴りの良さは、音楽を楽しむ純粋さと豊かさがある。
例えば、名機として誉れ高い・・
Eurodyn オイロダイン
Wharfedale ワーフディール
欠点としては、空気の粘性インピーダンスの低い状態で駆動されるためにシリンダーの無いピストンのように振動系が暴れ好くストロークが取れない事。その構造故に本当に芯とボディーをもつ低音を再現できないところだろう。因みに、オイロダインは必然のフィックスドエッジ・短いボビンにダンパーとボイスコイルを近接する・ボイスコイルギャップを広くする構造・絞りの深いコーンこれ等の構造でこの問題に対処している。ユニットを覆っているネットは防塵用と言われているが、この対策の一環ではないかと思うのだが、実際はどうなのだろう?
背面の音
雑振動のもうひとつの要因として考えられる背面の音の振る舞いを見てみたい。
Manifestoのブラッシュアップの過程で、クラシックギターの生音と比較をしていた時の事”音の立ち上がりは同等だけれども僅か音が硬く弦の響が少なく細かいニュアンスが再現できていない”という結果であった。反応しているのかを確認するため、スピーカーユニットの裸の音を確認する事にした。結果、”純粋で豊かな消えゆく長い響!!”ギターの弦の立上り・響が見事に再現されて、生音と比較しても遜色ない。
-Manifestoは内部にレゾネ-タを内蔵し250Hz以上の音を排除する構造-を備えておりエンクロージャーの鳴きはほぼ無い。加えてバックロードは背面が開放しているので、背面の音は充分に排除出来ていると考えていた。部屋が飽和する音量であってもエンクロージャーを触れてもほとんど振動を感じない。その要因を調べる内に”楽器では、内部の音を生かし個性とするが、スピーカーでは背面の音が阻害要因ではないか”と疑問を持ち、”内側の音の振舞い”を調べる事にした。
”内側の音の影響を確認すために”取り敢えず、吸音材を徐々に増やしながら音を確認する事にした。バックロードのホーン内に吸音材を入れていくと折角のメリットが失われると危惧もあったし、吸音材は250Hz以下の周波数は機能しないので効果は無いのではないかとも思ったのだけれど 実験と割り切り試す事にした。併せて吸音材も数種類試す事にした。吸音材を増減しギターを聴く。この作業を繰り返した。
音はクリアーさと瑞々しさ鮮明な立ち上がりと豊かなハーモニー いままで隠れていた姿が立ち表れて来るではないか。残念ながら、裸で鳴らした時のような細かい産毛立つような豊かなニュアンスは再現出来ないが、バランスは遥かに良い。
それではと、試聴盤を幾つか取り出して、聴き始めた。その中の一つ
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Nancy Wilson / Keep You Satified / Colombia
Nancy Wilson (vocal)
Satoh Masahiko (key)
Matuki Tunahide (g)
Takamizu keizi (b)
Togashiki Yuhichi (per)
ナンシー・ウィルソンと日本のミュージシャンのバックによるアルバム。一曲目がかかり始めてあれ?レコードを間違えたのかと確認し直した。ベースとパーカッションの音がまったく違う。デジタル録音でスタジオ別取の多重録音 特筆するところもない録音で今まではイージーリスニングのように聴いていた。ところが、アンサンブルの醸すボディーは厚く、ストリングスは美しくは豊かに響く。その中にリラックスして楽しんでいるナンシー・ウィルソンのボーカルが重なる。それにしても-マリーン ソニー盤マスターサウンドに匹敵するようなー横溢するエナジーは素晴らく空気の胎動を感じさせる。
方や、コーン紙の振動以外は全てノイズとして徹底的に排除するという考え方で、この考え方は一時代前までは、日本の大手メーカーを中心にメインストリームを成していた。端緒となったのはケンウッドの鋼鉄製1トンのバッフル登場であったように思う。以降一気に流は作られ、その思想の集約したLo-D 四桁一連のモデル、オンキョー グランセプター GS-1 などが代表するモデルである。
ポーラスメタルをバッフルに採用したオプトニカなど共振しない素材の開発も盛んに行なわれていた。振動板以外の振動を徹底排除する事を技術的目標として、日本のメーカーはかくも徹底して追求してきた。今から見るとこの時代の熱気と開発にかけたエネルギーは凄まじいと感嘆させられる。
この頃、特にスピーカーの評価として”音は良いけれど、音楽が鳴らない”といわれていた。この反動からか、高剛性で”鳴らさない”から必要以上に抑えない”鳴らす”事を模索し始める動きも出てきた。
”スピーカーは、楽器か変換器か”というテーマに最も相応しいとも云えるヤマハ。彼等のアプローチはどのようなものだったのだろう。一時はヤマハも徹底した高剛性・高質量の路線であったのが、最期のハイエンドモデル GF-1では、見かけとは異なり、ユニットを押さえつけずに有る意味、野放図に鳴らすセッティングにしてあると当時の主査は開発手記に記していた。理由としては、記憶なので正確では無いかもしれないが、”今までの高剛性・高質量では音楽の楽しさが上手く表現できないから”と雑誌の対談の中で語っていたと思う。
設計思想を高剛性から好剛性とも云える転換をトップモデルで問うたため、この変化がどのように受け取られたのか、同じ思想に基づく汎用モデルも出なかったので、あまり話題にもならなかったように思う。
このヤマハが取り組んだエンクロージャーの鳴きを押さえ込まない・ユニットを押さえ込まない という考え方は、主にヨーロッパの製品の常套として語られ、日本的な剛性志向と対を成して語られる。対比される欧州のスピーカーは、エンクロージャーを上手く鳴らすためにユニットにはそれほど凝らずに”特性は良くないけれど、音楽が鳴る”とステレオタイプの評価をされたりした。
”鳴らす”派この違いを”音楽性”という言葉で説明しようとし、”鳴らさない”派は正確な変換機ゆえとした。
最近では、欧州製の方が振動を抑える事が主流と成りつつあり、Audio Mecanica Magico などのように徹底した剛性をもったスピーカーも現われてきている。往時を見る影もないが、近年日本でも、楽器のように響きを殺さない事に注力した製品が増えてきているのは、歴史を知れば興味深い。
不思議な事に、現在の高剛性のスピーカーに対して、”音は良いけれど、音楽が鳴らない”という評価は不思議なほど見受けられない。チューニングが優れているのだろうか。当時の日本製のスピーカーと何が違うのだろうか?この事を取り上げ、指摘した記事は残念ながら見た事がない。
更に付け加えれば、現在高く評価されているセラミックドームもダイヤモンド製ドームも、25年以上も前に日本のメーカーが開発している。瑣末な評価に終始し、この努力は残念ながら正当に評価される事は無かったように思う。当時の評価と現在の評価を較べると釈然としない。
オーディオは技術でありながら極めて感覚・感性的な領域でもあり、技術の伝承という点から見ても過去の日本の技術を今一度振り返り評価をし直すことは、意味あることだと思う。しかし、技術の集積は継承さる事無く、その機会も既に失われたように見える。
しかし、今日の日本のオーディオの凋落は、、開発姿勢の構造の中に、要因が潜んでいたと疑っている。日本のオーディオが大メーカーに支えられていた時代、マーケット志向の問題もあったかもしれないが、かれらのマインドセットは言外に、特性の改善が必ず音質の向上に繫がるというスタンスの元に開発されていたように思う。言い換えれば、音楽信号(この場合はアンプの出力)を細大漏らさずに正確に再現すれば”音楽性”も完璧に再現できる という事である。
企画を練り、プロジェクトを立ち上げ、予算を確保し、一連の基礎研究から、製造技術・個々の開発・纏め上げる技術・測定評価 販売量の確保、一見理想的な開発環境のように見える。
技術的な目標を設定して開発に取り組み、その評価と決定はどの様になされていたのか興味のあるところだ。というのも、技術的目標の評価は必ずその成果の達成度によって為される筈だからでる。その設定した目標が、実際には足枷になってはいないだろうか。
目標とした成果を達成したとして、ヒアリングテストでそれを覆すような結果が出たときに、目標の見直しや再評価を行ったのだろうか? オーディオに於いてはそんな事は日常茶飯である。
”エンクロージャーを鳴らす?”の根本はここに潜んでいるのではないだろうか。この点を最後に取り上げたい。
エンクロージャーの基材
鳴らすにしても鳴らさないにしても重要な要因となる対象は、エンクロージャーに使われる基材である。主な物を列記すると。
木質系 : チップボード MDF ベニヤ(積層材) 集製材 ランバーコア 無垢材
金属系 : アルミ二ウム 鉄
樹脂系 : コンポジット材 メタクリレート アクリルなど
個別に取り上げると範囲が広がりすぎるので今回は、深くは立ち入らない。やはり木質が使われることが多い。木質系に関しては右ワイズに良いといわれる順としている。アメリカのスピーカーの支持者は米松あるいはJBLのチップボードを支持されている。更に比重・剛性のあるアピトンが良いとする人も居るだろう。どれが良いかは百家争鸣 結論付ける事はなかなか難しい。同じ条件で異なる基材で製作すれば一つのランク付けは出来るだろう。 ではそれぞれの基材に相応しい工夫を凝らしたときに基材による音の変化は前のランクと同じようになるのだろうか?例えば接続方法・接着剤・補強の仕方などなど、音への影響の要因は多岐に亘る。
素材は、要因ではなく結果なので、素材だけを取り上げ音を判断する事ははてなの茶碗(はてなのちゃわん)を髣髴とさせる。
例えば、合板より無垢材が良いといわれる。これは、楽器には無垢材が使用されることから来る安易な幻想にも思える。例えば、ギターにおいてハカランダは最高とされている材料(裏板)で、ハカランダ信仰といわれるほどに絶対的な支持を獲ている。その裏板をMDF材で製作したものをルティエ(ギターの製作家)が展示会に持ち込んでいたが、音の評価は頗る高かった。音は明瞭で、遠達性に優れていると。製作家は井上保人氏。
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397 : ドレミファ名無シド[] 投稿日:2008/11/11(火) 23:49:25 ID:mXvOznTQ [1/2回]
>>346 ちょっと遅くなってしまったのですが、弦楽器フェアのレポです。
残念ながら期待していた櫻井RFはありませんでした。
ネジメさんのギターは、ご自身のブログに出てた画像で見るより実物を見ると杢が綺麗でした。アームレストも付けてありましたね。良い音してました。
346さんの予想はハズレでした。大西達郎さんはラコートではなかったです。シュタウファーでした。ラコートを期待してたのですが、うれしい誤算でした。
実物をはじめて見ました。カッコ良いですね。特にヘッドがカッコ良かったです。ちゃんとネックの角度がネジで調整できるようになっていました。
それに、レイズドフィンガーボードみたいに指板が持ち上がっていました。19世紀の時代にすでにレイズドがあったのですね。ぜんぜん知りませんでした。
もう櫻井RFはどうでも良くなりました(笑)。シュタウファーに萌え~です。
音はやっぱり19世紀の音ですね。ソルの曲を弾くとすごく感じが出ます。やはり19世紀ギターでないとと改めて思いました。
あと面白かったのは、井上保人さんのトーレスギターです。側面板と裏面板がボール紙というかチップを固めたというか、木ではなく紙のような物で作ってありました。
トーレスが実験的にボディーをボール紙で作った物をまねて作った物だそうです。
弾いてみると優しい音色がしました。ちょっと驚きでした。
他のギターもそれぞれ製作者の個性が出てて良かったです。どれも良い音してました。ギター店に置いてあるものよりもずっと良いものばかりに思えました。
>>397
レポありがと。オレも行ってきた。おおむね同意見。
ただいつも残念に思うのは出展数の少なさ。もう少しあればいいのだが。
まあ今回は大西達朗のシュタウファー・レニャーニとネジメのメイプルギターと井上保人のボール紙トーレスが見れたのと、フクシンのギター弾きまくりが聞けて良かったかな。
聞くところによると、シュタウファー・レニャーニのネック角度調整機構とペグは自作だそうだ。ロジャースのシュタウファー用のペグがあるそうだが、それは重量がありすぎて、音に悪いそうで、仕方なく作ったんだとか。
やっぱ、良いものを作ろうと思うとそこまでしなきゃならないのだろうな。
普段は製作のほか、古銘器などの修理修復をやっているそうで、そのくらいの技術がないと、そういった事をするのは難しいのだろうな。
トーレスのボール紙みたいなのは、MDFという物だそうだ。ホームセンターのDIYコーナーで、ベニヤ板の横に置いてあるのを見かけるぞ。
こういった材料であんないい音のするものが出来るのなら、わざわざハカランダで作る意味がなくなるな。
Re: 2008弦楽器フェア
by A. Takagi » 月曜日 03 11月 2008, 22:43
私も土曜日に行って来たので、感想とか補足とか。
永田さんのミニコンサートは私も聞きました。もしかしたら、リュートのソロを生で聞いたのは初めてかもしれません。富士通テンのイクリプスのおかげもあってか、雑音だらけの会場でも、思っていたよりも音が通っていたと思います。
坪川真理子さんのコンサートですが、慣れないギターをとっかえひっかえなんだから、もっと簡単な曲を選べばいいのに、などと思ってしまう程のリッチな内容でした。
坪川さんが最後に弾いた、禰寝考次郎(ねじめこうじろう)さんのギターですが、装飾以外にも色々と面白いところがある、新しい試みのギターだと思いました。これまでギター屋さんで見た禰寝さんのギターとは明らかに全然別の作りです。側板と裏板に、何か変わったものを使っていたと思います。金曜には禰寝さんがいらっしゃったので、質問しておけばよかったのですが、結局は何を使っているかはわからずじまいでした。あとは、ボディの右手の肘が触れるあたりにアームレストが付いていました。夏場、半袖で演奏しても大丈夫、ということでしょう。試奏した感じでは、アームレストに不自然さは感じませんでした。
それから、井上さんのトーレスモデルの材質も不思議なものでした。まるでおがくずを固めて作ったかのような、人工的に見えるものが使われてました。ローポジションで弾いていた時は、得に目立った印象はなかったのですが、1弦12フレットを押さえて音を出した瞬間にぶっとびました。ハイポジションの高音の音量と伸びが圧倒的です。低音とのバランスがどうかは何とも言えませんが、高音が極めて良く出ているのは間違いありません。
上記の2台に、先の投稿で書いた長崎さんのギターを加えた3本が、従来とは別の新しいチャレンジをしているギターで、個人的には印象に残るものでした。
Guitar : Ichizo Kobayashi Model 50 2007
Silent Guitar : YAMAHA SLG120NW
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勿論、材料は何でも良いと云いたい訳ではない。集積された経験から導き出された選択であれば、無垢材でも、合板でも、MDF パーティクルボードでも良い結果得られると思う。その前提条件として、ユニット・エンクロージャーの構造・基材は不可分の一体で捉えるべき物で、経験値がないまま材質だけを取り上げて出てくる音を予断するのは、本質を見誤ることになると思う。逆の見方をすれば、この素材を使ったから、音がXXに為りましたと言うのはチューニングをする技術は在りませんと云っているに等しいとも云える。
分割振動は悪か
前回スピーカーは楽器であり・変換器であると取合えず結論付けたのだけれども、固有の音色の豊かさをどこまでも追求するのが楽器であれば、スピーカーは固有の音色を持たずに(可能であれば)あらゆる音色とその変化を描き出さなければ為らないので、その意味では楽器ではない。
固有の音色を持たずにというところで、技術者は振動板以外の音は、狭雑物・附帯音として排除する事を目指すのは、至極当然な道理であるが、ここにこそ楽器と変換器を分つ陥穽があると思う。
固有の音色というと直ぐに分割振動が取りざたされる。スピーカーユニットが完璧(アンプ程度の過渡特性を保持しているという意味であるが)であれば、論理的にも上手く整合し首尾よく目的を達成できたのだろうと思う。
ところが、ユニット一つのファクターに拘って突き詰めれば詰めるほど、理想から乖離していく。
それは、ダイナミック型の宿痾のといっても良いだろう。*他の型式はまたの機会に。
ここで理想を具体的に論ずるまでもなく、ダイナミック型では、ウーファ領域以外はそこそこのリニアリティーは獲得出来ている。ところがウーファ領域ではまったく悲惨な特性しか達成出来ていない。
分割振動も同じ観点から、排除するべき物とされているようだが、実はこの技術的な課題は、日本で達成されている。Lo-D #10000 とダイアトーンが郡山工場を閉鎖する直前に完全ピストンモーションのスピーカーを完成したと発表していた。これを聴いたオーディオ評論家は”音楽を聴くものではない”とコメントしたと記憶している。補足すると、位相を保障するには、頭を微動だに出来ない。
光学系の分割振動とも云える歪曲収差がレンズの評価でも取りざたされる。同じように収差ゼロが良い事とされているのだろうか。 収差ゼロのレンズは実は完成していて、私たちの身近なところで活躍している。それはCDのピックアップレンズである。 では収差ゼロのレンズがカメラやビデオに使用されるのかといえば、採用されない。何故か。 人間の感覚と機械の感覚は同じ領域を扱っても異なっている。その乖離をより人間の感覚に近づけて自然と感じられるようにするのが技術で、光学系に於いては早い段階から認識されてCarl Zeissなどが高く評価される。この事に気付いた日本製のレンズは特性でも一級でありながら立体感・空気感も有するレンズを造ってきている。
もっとも、収差は計算でシュミレートできるが、分割振動は、シュミレートする事は遥かに複雑なために感性・感覚という曖昧さがどこかに介在してくる事は避けられないと思う。
ところが、オーディオでは今だピストニックモーション第一・分割振動排除を技術目標に掲げる。
あるいは、希求する。そもそもの問題・目標の設定が誤ってはいないだろうか。
付言すると、GS-1の開発手法 インパルス応答は最も洗練され、有効な開発方法だと考えている。現状、主流の開発手法はやはり周波数特性で次の技術的ターゲットは位相特性なのか、この事をアピールする記述を多く目にするようになった。補足すると、位相を保障するには、リスナーは頭を微動だに出来ない。
周波数特性も位相特性も、別の手段[デジタル処理]や対象ユニットを追加[スーパーウーファやツィータ]することにより補正や補完することは出来る。
ところが、インパルス応答は本質的に持っている性能に依拠して、他の手段で補うことが出来ない。例えばMFB;Motinal Feed Backは、振動板をアンプのコントロールループに組み込んで制御する事を目的としている。振動板の変位をセンサーで検知しアンプにフィードバックする構成上、立上りそのものを改善できない事は明らかである。 そういった性質のものなので、音楽が時間の変化そのものであることを思えば、インパルス応答はもっと視座に入れる必要があるし次代の発展につながると考えている。
気になったので、yosii9を聴いてきた。??オーディオ開発の難しさを再認識した。
抑えるべき振動 鳴らすべき振動
ここで対象となる振動源を、整理して考えてみたい。
楽器の振動
人力検索はてなより→”ギターが「鳴る」ようになるのはなぜかを科学の視点から教えてください”
<楽器のミニ科学>より引用→ギターの発音メカニズムと共振
楽器の振動
人力検索はてなより→”ギターが「鳴る」ようになるのはなぜかを科学の視点から教えてください”
<楽器のミニ科学>より引用→ギターの発音メカニズムと共振
ここでは、ギターを取り上げているが楽器は、本質的には同じ原理原則に拠っている。
人間の体により入力した小さな振動を共鳴体を介してより大きな共鳴音とする。
振動板(音楽信号)の振動
振動板の逆位相の振動
エンクロージャーを伝わる板振動
空気の圧力変化に伴う振動
これらが、相互に影響しあってスピーカーシステムの振動を形成する(仮称;雑振動とする)。
この本質に立ち返れば、スピーカーが楽器とは異なる事は明白で、”振動板以外の振動;雑振動を排除する”という考えに間違いは無い。であるのにも拘らずこの事が、問題となるのは何故か。
それは、前述したように物量を投入し剛性を高めてもコントロールできない振動が存在するからである。どちらの立場を取るにせよ、雑振動は不可避という事である。現実問題として、完全に雑振動(ここでは振動板)を抑える事は困難である事を思えば、響き(共振)を抑え込まない事と高剛性である事は、実は同じことの表裏で理想と現実のどちらに軸足を置くかの具体的選択に拠るのだろう。実際にコントロールできるのは3,4で3への対応が高剛性・高質量化で4への対応がエンクロージャーの容積であり形状でしかない。
真っ白な紙を想像していただきたい。白ければ白いほど、全体の雑振動が減少すればするほど僅かなシミは目に付く事になる。僅かな雑振動響は益々際立って耳に付いてしまうし、それが低音域にあればその影響は全体に及ぶ事になる。
オープンバッフル
求められるのは、背面の音が前面の音に影響がなく、バッフルの影響も無い、動作状況としてはダイナミックスピーカーの理想的な雑振動の影響が一番少ない形式。結論を先に言えば無限大のオープンバッフルではないだろうか。
ユニットを裸の状態で鳴らしてみると、バランス(一部のユニットはバランスも良い)はともかく鮮明で瑞々しい鳴り方をする。この延長上に位置するのが、無限大のオープンバッフルであり平面バッフル・後面開放がそれに続く。ところが、ひとたびエンクロージャーに取り付けると、先ほどの瑞々しさは、幻のように霧散してしまう。この事は多くの人が経験している事だと思う。
バッフルの現実的な選択は、動作状況の複雑さを伴いながら、変遷はそのままスピーカーシステム(エンクロージャー)の歴史を辿ることになる。当初は前後に放出される音楽信号を分離するバッフルは平面バッフルや後面開放を選択する。密閉型となりやがては、背面の音を利用して低音の増強に利するエンクロージャーへと続く。
注目すべきは、動作状況は代を降るにしたがって複雑になってくる。つまり抑えるべき振動の要素が増え複雑化するという事である。
さて、現実としては、平面バッフルや後面開放に最適化させたユニット;コーン紙の質量 マグネットの強さなどをチューニングすると想像以上に低音感も有って、質感の高いハーモニーと屈託のない開放感・素直で整った鳴りの良さは、音楽を楽しむ純粋さと豊かさがある。
例えば、名機として誉れ高い・・
Eurodyn オイロダイン
Wharfedale ワーフディール
欠点としては、空気の粘性インピーダンスの低い状態で駆動されるためにシリンダーの無いピストンのように振動系が暴れ好くストロークが取れない事。その構造故に本当に芯とボディーをもつ低音を再現できないところだろう。因みに、オイロダインは必然のフィックスドエッジ・短いボビンにダンパーとボイスコイルを近接する・ボイスコイルギャップを広くする構造・絞りの深いコーンこれ等の構造でこの問題に対処している。ユニットを覆っているネットは防塵用と言われているが、この対策の一環ではないかと思うのだが、実際はどうなのだろう?
背面の音
雑振動のもうひとつの要因として考えられる背面の音の振る舞いを見てみたい。
Manifestoのブラッシュアップの過程で、クラシックギターの生音と比較をしていた時の事”音の立ち上がりは同等だけれども僅か音が硬く弦の響が少なく細かいニュアンスが再現できていない”という結果であった。反応しているのかを確認するため、スピーカーユニットの裸の音を確認する事にした。結果、”純粋で豊かな消えゆく長い響!!”ギターの弦の立上り・響が見事に再現されて、生音と比較しても遜色ない。
-Manifestoは内部にレゾネ-タを内蔵し250Hz以上の音を排除する構造-を備えておりエンクロージャーの鳴きはほぼ無い。加えてバックロードは背面が開放しているので、背面の音は充分に排除出来ていると考えていた。部屋が飽和する音量であってもエンクロージャーを触れてもほとんど振動を感じない。その要因を調べる内に”楽器では、内部の音を生かし個性とするが、スピーカーでは背面の音が阻害要因ではないか”と疑問を持ち、”内側の音の振舞い”を調べる事にした。
音はクリアーさと瑞々しさ鮮明な立ち上がりと豊かなハーモニー いままで隠れていた姿が立ち表れて来るではないか。残念ながら、裸で鳴らした時のような細かい産毛立つような豊かなニュアンスは再現出来ないが、バランスは遥かに良い。
それではと、試聴盤を幾つか取り出して、聴き始めた。その中の一つ
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Nancy Wilson (vocal)
Satoh Masahiko (key)
Matuki Tunahide (g)
Takamizu keizi (b)
Togashiki Yuhichi (per)
ナンシー・ウィルソンと日本のミュージシャンのバックによるアルバム。一曲目がかかり始めてあれ?レコードを間違えたのかと確認し直した。ベースとパーカッションの音がまったく違う。デジタル録音でスタジオ別取の多重録音 特筆するところもない録音で今まではイージーリスニングのように聴いていた。ところが、アンサンブルの醸すボディーは厚く、ストリングスは美しくは豊かに響く。その中にリラックスして楽しんでいるナンシー・ウィルソンのボーカルが重なる。それにしても-マリーン ソニー盤マスターサウンドに匹敵するようなー横溢するエナジーは素晴らく空気の胎動を感じさせる。
1 Just To Keep You In My Life 04:242 American Wedding Song 04:59
3 We've Got Love 05:00
4 Early Morning 03:21
5 Winter Green And Summer Blue 03:50
6 Just To Keep You Satisfied 05:53
7 Is It Too Late 03:26
8 Heaven Bound 03:49
9 Careless Whisper 04:53
10 If We Were Lovers 04:33
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その後、様々なレコード・CDを掛けて、全てが同じような変化を示すではないか??? 不思議だ。
ギターの音の響きから背面の音の影響を調べ始めたのに、響きと共に低音の伸び・エナジーボリュームがまったく違う-Manifestoは内部にレゾネ-タを内蔵し250Hz以上の音を排除する構造であるにも拘らず吸音材が効いたという事-はどういう事なのか理由・機序を推察してみる。
背面の音が構造的に発生する”内部レゾナンス(仮称*レゾナンスという言葉は適当ではないかもしれない)”は、定常状態のもので、動的に変化する音楽信号が瞬間的に発生する(内部の)音は、反射波と固有の定常波が複雑に干渉して、本来の音を阻害しているのではないか。
後面が空間開放しているバックロードでさえその影響が想像以上に大きいようだが、絞り込まれたバックキャビティーゆえにスロートで跳ね返った音がコーン紙を通り抜けるため阻害要因となっている事も再確認した。
事情は、背面の逃げが無いバスレフや密閉型では、この影響は深刻さを増す。
前面(再生音)に影響しないように コーン紙を厚く重く・吸音材の充填やエンクロージャーの材質
の高剛性化・高質量化に進む。ところがレスポンスの観点から見ると最悪の選択である事が判る。吸音材は低音ではまったく機能せず、高剛性・高質量は本来取り除きたい低音域のエネルギーを蓄積し僅かな時間差で再放出してしまう。
必然的にレスポンスは悪くなる。ところが、特性的には低域側に伸張し、単音スイープではこの現象は起きないため、測定結果には反映されない。
そのために、背面の音の影響から逃れる努力工夫【吸音材・形状・材質・ユニットの設計】は、皮肉にも本質的な問題の解決ではなく、更に助長する方向へスピーカーの限界をより強固に形作ってしまう事になる。
”背面側の音の処理が、スピーカーの限界を決定付けている”。
エンクロージャーの形状
一時 エンクロージャーの接合面に一般的な隅取りは音の濁りを発生するとしてアール形状にすることが推奨されていた。 有名なモデル ダイヤトーン 2S-305
このモデルを知ったときには、この形状でなければといけないのか。さすが技研開発 NHKのお墨付きかと憧れた物である。
このモデルを知ったときには、この形状でなければといけないのか。さすが技研開発 NHKのお墨付きかと憧れた物である。
それ以降はアヴァロン や ウィルソン ソナースファーバー などバッフルその物の振動輻射を低減するためにバッフル面の面積を出来るだけ小さくする流れから、この形状は廃れていく。
そのため、エンクロージャーのトレンドは必然的にトールボーイ型に推移していった。
最新のダイアトーンのスピーカーもこの流れに与しトレードマークでもあったアール形状を止めている。
実際に、エンクロージャーに聴診器を当てて各部の鳴り方を聴いてみると、不思議な事に音が濁るとされた角が一番クリアーで明瞭な音が聴こえて来る。
楽器か変換器か
さて、上記の点を踏まえて、再度、”スピーカーは楽器か、変換器か”という問と前回紹介させていただいた、”90dB以下の低能率スピーカーを使っていると音楽も音もわからなくなる”
という阿修羅の記事を縁(よすが)として本稿の纏めとしたい。
目標の設定と成果が必ず音楽的表現の向上・拡張を獲得できていれば問題は無いのだが、オーディオではそんなに上手くいくことは稀である事は、賛同を得られると思う。
特性の向上を達成しても必ず音質と結びつかない状況が生み出される。
一例として、オーディオでは、忠実度が上がると”録音の良し悪しを正確に反映するのでソースを選ぶ”と表現される。そうだろうか?音楽を聴く それが生演奏であれ、オーディオを介してであれ、本質はこの場この時で消えて行く一瞬の交錯・邂逅であると思う。100枚のレコードがあったとしてその忠実度に適う録音は一体幾つあるのだろうか。 10枚? 30枚? 70枚? 残りは捨て置くのだろうか? 一枚一枚 掛替えの無い”演奏”であれば100枚すべてを上手く鳴らしてやりたいと思うし、わざわざ断らなければならないほど悪い録音は僅かしか無いと思うのだが、如何だろうか?
今までの経験では、忠実度が高いから”悪い録音は、上手く鳴らない”というのは、ほとんどが忠実度が高いからではなく、”未だ忠実度が低い”からである。
エンクロージャーを鳴らす事・鳴らさない事は、意図しない領域の振動があるということに於いては同じ状況で、どちらの立場であっても、本質的には同じアプローチが必要になると思う。
この領域の処理こそが、スピーカーをして”録音された楽器”を”現実の楽器”へと変換する。
スピーカーは、楽器でありながら変換器 である。
という阿修羅の記事を縁(よすが)として本稿の纏めとしたい。
目標の設定と成果が必ず音楽的表現の向上・拡張を獲得できていれば問題は無いのだが、オーディオではそんなに上手くいくことは稀である事は、賛同を得られると思う。
特性の向上を達成しても必ず音質と結びつかない状況が生み出される。
一例として、オーディオでは、忠実度が上がると”録音の良し悪しを正確に反映するのでソースを選ぶ”と表現される。そうだろうか?音楽を聴く それが生演奏であれ、オーディオを介してであれ、本質はこの場この時で消えて行く一瞬の交錯・邂逅であると思う。100枚のレコードがあったとしてその忠実度に適う録音は一体幾つあるのだろうか。 10枚? 30枚? 70枚? 残りは捨て置くのだろうか? 一枚一枚 掛替えの無い”演奏”であれば100枚すべてを上手く鳴らしてやりたいと思うし、わざわざ断らなければならないほど悪い録音は僅かしか無いと思うのだが、如何だろうか?
今までの経験では、忠実度が高いから”悪い録音は、上手く鳴らない”というのは、ほとんどが忠実度が高いからではなく、”未だ忠実度が低い”からである。
エンクロージャーを鳴らす事・鳴らさない事は、意図しない領域の振動があるということに於いては同じ状況で、どちらの立場であっても、本質的には同じアプローチが必要になると思う。
この領域の処理こそが、スピーカーをして”録音された楽器”を”現実の楽器”へと変換する。
スピーカーは、楽器でありながら変換器 である。
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